2013年 10月 09日
上野村旧黒澤家住宅 2013 |
徳川氏が江戸に幕府を置いた時、現在の上野村・神流町(旧万場町・旧中里村)、
旧美原村の一部は幕府の天領となり、山中領として27代の代官が支配しました。
山中領は上山郷・中山郷・下山郷の三郷に分けられ、
黒澤家は代々上山郷の大総代を務めた旧家でした。
当時、上山郷には鷹の保護地区が27か所指定され、
毎年、将軍家に「鷹狩り」の巣鷹を献上していました。
黒澤家は代々、その御林守として御巣鷹山の管理にも当たりました。
(上野村教育委員会より抜粋)
「ちゃのま」
「神棚」
いろりのある「ちゃのま」は31畳半
主人の座る席の後ろには豪華な神棚があります。
四つの座敷
黒澤家の果たした役割の重要性をうかがえる四つの座敷
幕府の代官がこの地を訪れたときに使用される。
「上段の間」
鷹が彫られている欄間
「中段の間」~「中の間」
ちゃのまの周辺に「主人部屋」・「女部屋」・「きゃくま」・「なんど」など、
家族の居室が配置されている。
二階 「民具展示コーナー」
二階は仕切りのない広い板の間で、養蚕のために使われていた。
「栗の板屋根」
深い山の中のため、屋根には割れやすい瓦ではなく、
簡単に手に入る栗の木を使っていました。
栗板1100束
押さえ石 3400個
が使用されています。
「押さえ石」
旧黒澤家住宅
(国指定重要文化財)
群馬県多野郡上野村楢原
by hotshotampm2
| 2013-10-09 23:08
| 史跡・文化財・建造物