2014年 03月 23日
板垣與一文庫松井田分室宇佐見義尚宅訪問2014 |
(板垣與一文庫松井田分室 代表宇佐見義尚先生:3月13日訪問)
板垣 與一(Wikipediaより)
(いたがき よいち、1908年10月15日 - 2003年8月28日)は政治学者。専門は国際政治経済論。一橋大学名誉教授。1980年勲二等瑞宝章受章。
富山県射水郡新湊町(現射水市)の漁師の家に生まれる。その後、小樽高等商業学校(後の小樽商科大学)無試験入学等を経て、1932年旧制東京商科大学(一橋大学の前身)を卒業、その後1972年に定年退官するまで、同大学を拠点に研究を行った。
ナショナリズム研究等を行い、自国中心の狭いナショナリズムから脱した「トランス・ナショナリズム」の重要性を主張。実際にインドネシアの独立運動も支援した。
また第二次世界大戦中は、1942年11月南方軍軍政総監部調査部付となり、同年12月赤松要団長らとシンガポールに渡り、1943年山中篤太郎教授とともにジャワ島の農村調査を行う。
その後1944年馬来軍政監部調査部員としてクアラルンプールに渡る。そこでマレー青年連盟党首イブラヒム・ビン・ヤーコブ義勇中佐とともにマラヤ民族独立運動(クリス運動)を推進、軍政部の民族工作に関与し、後の統一マレー国民組織につながるマレー人民族団体の組織化に関わる。
1945年8月イポーにて終戦を迎え、同年9月クアラ・カンサルのサラノースキャンプ入所、マラリア罹患。1946年リバティ船にて帰国。
1957年8月に岸信介総理大臣にアジア研究所の設立を進言し、翌1958年財団法人アジア経済研究所が発足し同研究所調査担当理事に就任した。
1964年十二指腸潰瘍により日本大学医学部附属板橋病院に入院し手術を受ける。
2003年膵癌のため東京都中央区の病院で死去。享年94。晩年は東京都練馬区在住。
板垣文庫松井田分室
開設 : 2005年8月28日
代表 : 宇佐見義尚
〒379-0224
群馬県安中市松井田町人見225-1
itagakibunko@aol.com
URL
http://www.geocities.jp/itagakibunko_matsuida/
TEL 027-385-0984
携帯 090-3819-4770
FAX 027-385-3119
閲覧・利用方法
開館は原則として、金、土、日曜日、祭日の9-16時 (要予約)
by hotshotampm2
| 2014-03-23 21:42
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